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 relevos.66〜70

relevos(リレーエッセイ)は、気ままに連鎖します。
当財団は口をはさめません。


 relevos.66 市原 朋実   「自然の響き、人の響き」

 その時、私は山形県の山奥に流れる川の河原にいた。時刻は夜8時を過ぎていたと思う。周囲に街灯はひとつもなく、夏の夜の蒸した闇に川の流れる音が鈍く響き、控えめな虫の声が辺りを包んでいた。自分がどこにいるのかもわからないような暗闇の中、星明りを受けて時折白く光る水面を見ていた。月の無い夜だからこその闇だったが、そんな地上から見上げる夜空は天の川がくっきりと見えるほど星々で光満ちていた。都会生まれではないけれど、私の生まれた場所ではそれほどの深い闇も息を呑むほどの星空も見られなかったから、生まれて初めて見たあの夜の風景は強く記憶に残っている。あの闇と満天の星の狭間で静かに呼吸をしながら、自然の奏でる微細な存在感を初めて強く感じ取れた気がした。それは自分の体と自然が共鳴しているような感覚だったと記憶している。

 その時、私は八丈島を取り巻く海の中にいた。溶岩の黒い岩に囲まれた入江の中、素潜りで青い世界へと進んでいく。底の方ではスキューバダイビング中の人たちがゆったりと泳いでいた。私が潜ったのは、せいぜい水深3メートルくらいまで。魚の群はもう少し下を行き交っていて、それを追いかけるように泳いで遊んだ。深く潜れなくても、海の中を自由に漂う感覚はとても楽しいものだった。ふと見ると、入り江の向こうにもっと深い青が続いていた。その更に奥では徐々に青が濃くなり藍となり、もっと向こうは黒に近い青が広がっていた。その色を見た瞬間、あの夜の河原で感じた感覚が蘇ってきた。これは何だろう。自分ではどうにもできない奥深い自然の、底知れぬ世界への畏敬の念だろうか。海で見た濃い青の世界は、人の身ひとつでその場へ至れば命にかかわるという怖さも感じたが、それでも自分と自然との間に何かが響き合っているという気がしたのだった。

 その時、私は標高1000メートルに位置する集落にいた。長野県は上村、しらびそ高原を越えたところにその村落はある。辿り着くまでに細い山道を車で1時間以上登り続けなくてはならず、傾斜30度ほどの山肌にあるその村は住むには厳しいことは容易に想像できた。けれども、見渡せば標高1800メートル級の山々が連なる荘厳な風景は本当に見事で、また訪れたいと思わせるものがあった。地域にある宿に泊まった翌朝、外へ出てみると、高山に朝もやがたなびき、その遥か上までのびている峰が朝日に照らされて金色に輝いていた。空気は限りなく透明で、見上げた空はあの八丈島で見た海のように深淵なる青だった。朝特有の冷たい空気に身震いしながら、今まで自然の中で感じてきた感覚の意味がわかり始めたような気がしていた。

 そしてその時、私は吉野の山々を見渡していた。真夏の数日間、関西方面にある20近い神社仏閣を巡り、その最中に訪れた場所だった。桜の名所として名高い吉野の山々は濃い緑に映え、猛暑の空気に遠く揺らめいていた。山頂には金峯山(きんぷせん)寺があり、入り口には立派な仁王像が立っている。その仁王像へ至る前に石段があり、上りきったところでふと後ろを振り返ってみた。峰に沿って生まれたささやかな町並みの向こうに、深い谷を挟んで連なる山々が見えた。瞬間、微かな風が石段を駆け抜けた。初めて来た場所の初めて見た風景であったにもかかわらず、それはまるで見慣れた景色に思えて不思議な気持ちがした。そして、その景色を山のこちら側で見ているのに、なぜか自分がその中に溶け込ん
でいるような感覚。過去にいくつかの場所で感じた「自然と響き合っている」という感覚は、個と個が別々にあってこそ感じるものだったように思えた。ところが、吉野で感じたのは個と個が融合したような感覚だったのだ。この違いは何だろう。まるで自分と世界との境目が無くなったかのようだった。

 今、私は占いを入り口にして、様々な相談を受ける仕事をしている。ただ吉凶を占ずるだけでなく、相談者様が思うように生きられないのは何故かや、その人の状態の何が滞っていて何が過剰なのかを視て、バランスが良くなるよう心を整えていく事をしている。相談者様の心身のバランスが安定するにつれ、顔つきや振舞い方が変わっていき、何回か会う後には落ち着いた様子になり、自分で物事を考えて生きていくことが出来るようになっていく。不安や思い込みなど余計なものが取り払われてスッキリしてくると、占いというものはあまり頼られなくはなるけれど、私はそれで良いと思う。ひとりひとりが真の意味で自立して行けば、そうそう問題が起こることもなくなり、気負うことなく平和に暮らしていける状態になるからだ。
 特に興味深いのは、絵や音楽など芸術方面に携わっている方が変化していく姿だ。例えば、思うように絵が描けない、自由に歌っていてもどこか違和感を感じる、芸術を仕事にしてやっていけるのだろうかなど、多様な内容の相談がある。こういった悩みには、単に才能の問題だけで片付けられない原因があることも多く、その原因に気付いて乗り越えた後の人たちは、明らかに作品や歌に変化が現れる。結果が作品という形でアウトプットされるため、相談を受けたこちらもより身近に素敵な作品に触れることができて嬉しい。
 悩み事の解決が進んで相談者様に変化が見え始める頃に、私はある感覚に気付き始める。あの河原で、海中で、山頂で感じた、響き合っているという感覚。それが相談者様が変化していく段階が進むごとに徐々に強まってくるのだ。響き合う感覚が高まれば、もうすぐ相談事の終わりであるとわかる。昔から自然と人との関係についての話はたくさんあるけれど、私が仕事の中で日々感じている事からすると、人が自然な状態になればなるほど、この世界の自然というものに近付いていくのではないだろうか。人の苦悩や執着やエゴなどといったものが問題が解決するにつれ薄まっていき、気持ちが軽くなっていくとより自然な状態になり、周囲との壁も消えていく。と同時に世界との境界がなくなっていくようなのだ。不自然な状態では不協和音が響き、自分自身や周囲とのバランスも悪くなる。自然な状態であれば、互いにぶつかることもなく心地よく共鳴する。自然の響きを感じながら、人の響きを調整していく……そういう仕事をしている私自身も自然と響き合えるよう日々心がけている。昔から、人と人とは響き合うというような表現があり、以前は頭では理解したつもりでいまいち!

実感のなかった私は、様々な経験を経てやっと「響き合う」ということが感覚としてわかってきた。人と人、自然と人とが響き合うことで実際に起こることは、皆が笑顔になる内容ばかり。現実に起こる幸せな結果に出会う度に、更に多くの方が自然な響きを取り戻せるよう、もっと広く活動していきたいと思う。


市原さんは、こんな人… relevos.65 杉浦 美佳
彼女の占いは恐ろしいほどによく当たる!
そんな不思議な力を持ち、ネコのように自由な毎日を送っている(ように思える)友人です。



 relevos.67 平久 信子   「自分の道を生きる」


 なぜだか春になると、むくむくと「何かを始めたい」という気持ちがわきあがってくる。お花、お料理、テニス、ヨガ、バレエ、スポーツクラブ、イラストや大学の通信講座などなど、これまでにも様々な習い事を経験し、そのほとんどが挫折しているというのに。
それでも改めて考えてみると、ピンポイントで見たら何も身につかず「時間とお金のムダだった」ように見える習い事も、長い人生に照らし合わせてみれば、いろいろな学びがあるものだ。例えば……。
ということを、これまでに経験した習い事の中からいくつかをピックアップして、書いてみることにする。
【華道】
 日本の伝統文化のひとつである華道。もともと花は好きだったけれど、華道には、まるで興味がなかったのに。なぜ習うことになったかといえば、大学を卒業して入社した会社に華道部があり、同期の女の子たちみんなで「入部しよう」ということになったからだ。私自身の「やりたい」という意志ではなく、「みんなで一緒にポン!」的行動。もちろん、何かを始めるきっかけに決まりなどないから、「みんなで一緒にポン!」だってよいのだ。「一緒にポンで始めてみたら、そのおもしろさにはまっちゃった」ってことも、実際あるわけだし。しかし、私にとっての華道は、そうはならなかった。
 週に1度の部活動では、教材のお手本写真を見ながら、そのとおりにいけて、先生に見ていただく。私はお手本どおりにいけているつもりなのに、先生の目にはまったく違うものに映るらしい。いけた花は全部抜かれ「ここはこうして、ここはこうね」と、先生がすべていけ直してくださるのだった。でも、自分がいけたものとどこが違うのか、さっぱりわからない。毎回こんな調子。もともと自分にやる気がないのだから、「次こそは」という気合いもなく、センスのなさをひしひしと感じるのみで、結局は幽霊部員と化していったのであった。そんな華道からの学び。
★『一緒にポンでも意志なきゃだめよ』★意味=きっかけが「みんなと一緒に」であったとしても、何かを始めるときは「やってみたい」という自分の意志がなきゃだめよってこと。
【お料理】
 ある日、新聞に折り込まれていた料理教室の広告。その広告に載っていた「サツマイモごはん」に目を奪われた私。おいしそう……。サツマイモごはんが「作りたい」のではなく、「食べたい」ということで、友人を誘って料理教室に通うことになった。
もともと料理は苦手で、家庭科で調理実習をするときは、手際よく調理をこなす子の邪魔にならないようにしていた。それは、通った料理教室でも同じ。簡単そうなことをすみっこでちょこまかとこなしながら時間をやり過ごす。食べる時間よりも作る時間のほうが長いのだから、だんだんその場にいることが苦痛になってしまった。サツマイモごはんが食べたいなら、何も教室に通うことはなく、家でレシピを探して作ればよかったのよね。というわけで……。
★『邪道はだめよ』★意味=何かを習う目的は、本道からはずれてはならないということ。やはり料理教室へ通う目的は、食べることではなく料理を作ることでなきゃね。
【バレエ】
 一度もレッスン経験はなかったのだが、近ごろ大人の初心者クラスが人気だというので、運動不足解消のために通ってみることに。ストレッチをまじえながら、気分だけはプリマドンナで、ゆったりと体を動かすことはとても気持ちがよかった。問題だったのは、スタジオの雰囲気および先生との相性だ。
 スタジオや更衣室は、いまひとつ清潔感に欠けていて「むむむ」。先生も決して悪い先生ではないのだが、どうも私とは相性が合わない。体験レッスンに行ったときにそう感じたのに、「バレエをやってみたい」という気持ちと、「ほかの教室を探すのも面倒だ」という気持ちで入会してしまった。でも、そういうのって、やっぱりうまくいかない。
★『心の声を無視しちゃだめよ』★意味=とくに理由がなくても感じた違和感、自分の感覚や心の声には、あれこれ理屈をつけずに素直に耳を傾けようってこと。言い換えれば「直感を信じる」ことになるのかな。けっこう大事なことだと思う。
【ピアノ】
 小学校1年生から始め、途中ブランクはあったものの、現在進行形でいちばん長く続いている習い事。子どものころは厳しい先生がいやで、やめたくてやめたくてたまらなかったのに、なんだかんだ言ってピアノが好きみたい。
★『長くやってりゃそれなりに』★意味=いわゆる「継続は力なり」ということ。ピアノが弾けるというだけではなく、あることを「続けている」というその行為自体が、何かしらの力、自信につながる面も。

学んだことは、その他いろいろある。もしかしたら、この春も何か始めているかもしれない。そうして何かを学ぶに違いない。習い事に直接関係あることかどうかはわからないけれど、なんだかんだ言って、自分の人生。やりたいことがあるなら、やってみたらいい。よく言うよね。「やらずに後悔するなら、やって後悔したほうがいい」って。うん。私が行く道もこれだ。
★『自分の道を生きる』★意味=読んで字のごとく。


平久さんは、こんな人… relevos.66 市原 朋実
私の音楽&セラピスト仲間です。ピアノ・歌・物書き・セラピスト、そして子育てを頑張るアクティブな方です。時々控えめな面がありつつも、悩んだ後はポジティブに前進する姿が素敵です。



 relevos.68 木檜 和明   「犬との生活の中で」

 我が家には4才になるワンコがいます。しかし、妻も僕も数年前までは大の犬嫌いでした。犬に噛まれた経験や性格の悪い犬をいろいろ見てきたことなどが原因でした。

ところがふとしたことがきっかけで妻が犬に触れるようになり、あれほど苦手だった犬がとても身近に感じられるようになって色々な犬と触れ合っていくうちに彼女のトラウマはあっけなく氷解。ほどなくして犬が飼いたいと思うまでになったのです。

そして運命の日、3年前の夏祭りの日に彼は我が家にやってきました。僕は犬を飼うことには同意したものの、その時点ではまだ犬が嫌いなまま。そこから苦悩の日々が始まりました。何しろ苦手な生き物と一緒に暮らすのです。におい、鳴き声、抜け毛、いたずら...すべてがイライラの種です。

そんな生活が数ヶ月続き、僕の中に変化が生まれ始めたのを感じました。自分の子供が赤ちゃんだった頃と何か似ているような気がしたのです。ワンワン吠えるのは寂しいから?いたずらするのは遊んで欲しいから?そんな風に考えていたら犬の行動の一つ一つに意味があることが分かったのです。

そしてふと考えました。「この子は好きでうちに来たわけじゃないんだ。飼い主の都合でうちで暮らすことになったんだから愛してあげなければ彼にも彼の両親にも失礼ではないか」と。犬にも心があって何か行動する時には理由があることが理解できてからはどんどん情が湧いてきて、それに比例して意志の疎通もできるようになっていきました。ペットから家族への昇格です。

彼を見ていて気付くこと、それは人間がいかに欲が深くて迷いが多い生き物なのかということです。人間以外の動物は皆、生まれながらに持っている自分の運命を背負い、多くを求めず、嘘をつかず、ありのままを受け入れる、

人間は少しでも便利に、少しでも豊かな生活を送ろうといろいろなことをしてきました。自分が目にできないものでもその想像力で「概念」を作り行動によってそれを具現化する、文字を通じて先人の知恵を後世に伝えていく、道具を使い個の能力以上のことを実現する...そうやって人類は発展を続けてきたわけですが、それが人間同士の争いに発展したり自然の調和を破壊したりしたのでは全く意味がありません。

犬と一緒に暮らしてみて、人間とは何なのか、本当の豊さとは何なのかと改めて自問しているところです。ペットと暮らしているかたのみならず、身近な動物や動物園・水族館などで出会う動物との関係を通じ、癒しだけでなくそういったことにも皆が目を向けてくれるよう切に願っています。


木檜さんは、こんな人… relevos.67 平久 信子
ご家族(奥さま、お子さま、ワンコちゃん)を愛し、友人・知人を愛し、住む地域を愛する、心優しく穏やかなITマン。柏のおいしい食べ物屋さんにも詳しいですよ〜。



 relevos.69 四元 路代   「お手玉について」

 『お手玉』が好きである。
むしろ、大好きである。
もはや、愛しちゃっている。
今回は私の愛するお手玉のことについて語らせていただこうと思う。

おととしの夏、父方の祖母の90歳のお祝いで湯布院に行った。
たまたま入った土産屋で小さなお手玉を見つけた。古い布の端切れがつぎはぎに使われていて、手で縫われている。手のひらにちょこんと恥ずかしそうに乗っかった。中にはペレット(プラスチックの粒)が入っていた。なんとなく気になって、いくつか買って千葉に帰った。
お手玉は小学生の頃に遊んだ事があるが、その時はそんなに熱中した記憶は無い。なのに、見ていると何となくあたたかくて懐かしい気持ちが沸いてくるのだった。
昔を思い出しながら、両手で2つを投げてみた…割とスムーズにできる。余裕だ。
調子に乗って、やり方はわからないけど、気合いで3つ投げてみた…できない。案の定だ。お手玉があっちこっちに飛んでゆく。私は笑った。
また挑戦してみた。できなかった。もっと遠くに飛んでいった。私はまた笑った。夢中になって、しばらく投げて遊んでいた。
お手玉は「失敗が楽しい」遊びだなぁ。と思った。失敗は、嫌なもののはずなのに、お手玉の失敗は、もれなく楽しい笑いに変わる。これは、とてもポジティブな遊び道具なのではないか?何か失敗をしても「ワハハ」と笑い飛ばせる度胸が身に付きそうな感じがした。

投げるのが楽しく、興味がわいたので、今度は自分で縫ってみた。
長方形の小さい布4枚つぎはぎの、俵型。中には小豆を入れた。
か、可愛い…!自分の手で作ったお手玉は格別に可愛い。いとおしい。
すっかりお手玉作りにはまった私は、いろんな色柄の布ハギレを合わせて沢山縫った。中に入れる「具」も小豆の他に、ペレット・数珠玉・ポップコーン用の固いトウモロコシ・数珠玉・焙煎コーヒー豆・炒った麦…いろいろ使ってみた。それぞれに手触りも音も違う。楽しい。

この楽しさを段々人に広めたくなってきて、手作りお手玉教室やお手玉手作り実演をしてみた。そして、いろんな人たちに、お手玉を薦めた。
小さな子供はもちろん、お母さんも一緒に楽しそうに投げる。
特に、少女時代に現役で投げていたおばあちゃんは一家のヒーローになった。
お手玉を使うと、三世代に渡ってコミュニケーションをとりながら遊べるのだ。
意外だったのは、20代前後の若い男性方にも興味を持ってもらえたということ…汗をかいてまで、一心不乱に投げている。そうか、お手玉は真剣にやるとスポーツにもなるのか!新しい発見であった。
「私はいいです」と断られたことも、もちろんあるが、実際に投げてくれた人たちは、もれなく「楽しい!」と言いながら笑った。

現代は、子供たちも、大人たちも、自分で何かを作らなくなった。
周りを見れば、なんでもあるからわざわざ作る必要がない。
でも、それって、とても淋しいことなんじゃないかなぁと思う。
昔は、自分が遊ぶオモチャを作る材料を探すところから自分で手掛けたり、買ったものでもそのまま使わず自分好みに改造したり、楽しく頭と体を使って遊び方を工夫していた。TVゲームの無かった時代の子供たちは、ゲームが無くったって退屈なんかしていなかった。自分の手で、素敵なものを作り出す。それで楽しく、好きに遊ぶ。その経験をしている人としていない人では、成長の仕方まで違ってくるんじゃないだろうか。私は、今の時代にこそ、お手玉が必要なんじゃないかと考える。その楽しさを、一人でも多くの人に伝えたいと思う所存である。

私の夢の一つに、「着物に割烹着の“お手玉おばあちゃん”になって24時間テレビに出演する」というのがある。
私がおばあちゃんになるまで24時間テレビが放映されているかどうかはわからないが、おばあちゃんになっても、お手玉を作り、遊び、その楽しさを伝え続けていたいと思う。これを叶えるまであと何十年か…長生きしなくてはと思っている。


四元さんは、こんな人… relevos.68 木檜 和明
信念を持っていろいろなことにチャレンジしている行動派。彼女がいるとまわりが明るくなります。



 relevos.70  鹿志村 美幸   「LOVE LIVE LIFE」


 心から愛する…「人」「音楽」「旅」
全て共通して言えることは、私にとって大切な出会いや心の交流をもたらす。

「旅」は毎年必ず行く。年に1回、日本を離れ、客観的に日本を考える機会をくれる。
そして、何より各国の特有の価値観に触れて、1年の間に硬くガチガチになってしまった自らの心を、柔らかく解きほぐしてくれる。

今まで行った国を振り返ると約15ヶ国は数える。気に入ってしまって、毎年のように通った国もある。
世界遺産のある地もいくつも行ってみた。
しかし、心に残るのはその遺産ではなく、その国の人々の笑顔や日常。一生懸命に働く子供たち…。人の事ばかりである。
初めてのことで戸惑っていても、どの国へ行っても、皆さん心から接してくれる。
おせっかいだと思ってしまうくらい、お世話を焼いて下さる。何故?
ある国の考え方によると、海外から来た人は、神様が我々に遣わせた大切なお客様なのだと言う。そのお客様を歓迎しないと罰当たりになるとも言っていた。
そんな前提はあるが、彼らは損得勘定も抜きにして、日常の1ページとして私たち異邦人を受け入れてくれる。

自身に置きかえた時、いきなり出会った海外からの観光客に、言葉も通じないのに
「これから家に遊びに来なさい。日本料理をご馳走してあげるから!」
なんて言葉がかけられるであろうか?
きっと難しいと思う。しかし、この心意気が大好きである。国に国境がないことを個々で感じさせてくれる。本当の国交は国単位ではない。やはり人と人のつき合いなのだと心から思う。

「音楽」は私にとって無くてはならない存在だ。私は現在、歌手として日々楽しんでいる。毎日、新しい課題に悪戦苦闘しながらも、新しい刺激に身を委ねている。

特に音楽の仲間たちは実直で、自らの信念をしっかりと持って生きている。
いわゆる「メジャー」と言われる少ない椅子を、時には協力し合い、時には足をひっぱり合いながらただ1つの椅子を目指す。
一見、灰色な世界だが、熱い想いとその楽曲から、彼らの人柄が見えてくる。

学生の頃はすぐに出来た気の合う友達や親友と呼ばれる特別な友達。大人になって思うのは、社会に出てからは本当に気の合う友達になかなか出会えないということ。
しかし、不思議なことに音楽で知り合った友はすぐに仲間に変わる。どんなに久しぶりに会っても、セッションで楽しく奏でることができる。合致した時の音は鳥肌ものだ。
それは、昔も今も変わらない音楽への信念が互いを古くさせないからであろう。

「人」とは何なのか?それは誰もが想う、人類にとって永遠の謎であろう。
ただ私は、私だけの答えで良いと思っている。他に強要するつもりもない。まだまだ、生まれてきて30年と未熟者だが、2つだけ答えのようなものが見えた。

1つ・人を心から愛すること。いつも感謝の気持ちを忘れずに、優しく愛情を持って接すること。本気で愛する人がいるのなら、その想いを惜しまず伝えること。愛する家族、友人、そして貴方にも。
2つ・やりたいことには貪欲であれ。後悔してからでは何もない。一度の人生、自身が出来る環境にあるのなら、足踏みしないでほしい。きっと経験以上に、素敵な出会いがあるだろうから。

今の私を形成しているのは、きっと「旅」「音楽」そして「人」だと思う。
これからもたくさんの愛を持って、私の愛する人、私の愛する音楽と仲間たち、私の愛する旅と各国で出会った人々を大切にしていきたい。

そして、今度出会うであろう、貴方を愛していきたい。

次は、ご近所の藤原麻由さんです。


鹿志村さんは、こんな人… relevos.69 四元 路代
私の友達の、ボーカリストMIYUちゃん。歌を歌うことで常にメッセージを発しています。
人を元気にするパワフルな空気の持ち主。エスニック系ファッションをお洒落に着こなす姉御肌の女の子です☆




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